藤島神社は建武中興・後醍醐天皇の功臣「贈正一位新田義貞公」を 主祭神としてお祀りする神社です。旧別格官幣社、現在神社本庁における別表神社。建武中興十五社の一つ。

御鳳輦(ごほうれん)渡御(とぎょ)祭

藤島神社 御鳳輦(ごほうれん)渡御(とぎょ)祭

毎年5月22日前後の2日間開催

起源

御鳳輦の起源は御神輿(おみこし)より更に古く、中国からの風俗や文化の移入により伝わった天子や高僧などの乗り物とされて来ました。屋形の屋根に金銅の鳳凰の飾りのあるのが特徴で、単に「輿」(こし)と言われることもあります。

天皇専用の乗り物

日本では古代より、土台に二本の轅(ながえ)を通し、肩でかつぐ天皇専用の乗り物で、即位礼(そくいれい)・大嘗会(だいじようえ)・御禊(ごけい)・朝覲(ちょうきん)・節会(せちえ)など、晴れの儀式の行幸(みゆき)に用いました。別称として鸞輿(らんよ)、鳳輿(ほうよ)とも呼びます。 現代では神社の祭りなどに使われる、鳳凰の飾りがある神輿を意味しています。

神社の移転

藤島神社は2度にわたって移転しました。最初の場所は新田塚にあり、明治14年(1881)に牧ノ島(現在の文京四丁目)へ移り、更に同34年(1901)、現在の足羽山の場所に移ってきました。

 

御鳳輦の渡御(とぎょ=おわたり)である「神幸(じんこう)の儀」は、新田塚の旧社地(最初に神社があった場所)より牧ノ島に遷った年に創まり今日に至ります。 特に、現在の足羽山へ遷座されてからは例年5月22日の記念祭前祭として営まれてきました。 明治以降、藤島神社は嶺北で一番社格の高い神社でした。

奉獻 越前國 森田三郎右衞門正貫

明治天皇より明治9年(1876)に「別格官幣社」(官幣社とは、天皇が祭祀する国家の神社)に列せられたため、この御鳳輦は明治時代の神官のテキストであった『神職寶鑑』(しんしょくほうかん)に記載される「御鳳輦」とほぼ同じく教科書通りの作りをしています。

なお、現在のこの御鳳輦は明治33年(1900)、現在の坂井市三国町にあった森田銀行(後に福井銀行と合併)頭取であった森田三郎右衛門氏によって寄進されたもので、御鳳輦に「奉獻 越前國 森田三郎右衞門正貫 明治33年」と銘記があります。

修理

明治時代より星霜を重ねてきましたが、昨年末から本年年頭にかけて、その傷みを心配された地元の篤志家である市内・中島家具の中嶋髙義会長の手によって修理されました。

駐輦祭(ちゅうれんさい)

かつては福井県を代表する官幣社でありましたので県庁や市役所庁舎、また関係個所において「駐輦祭」(ちゅうれんさい)を行って、佐佳枝廼社や柴田神社でご休息しながら藤島神社旧蹟地である新田塚まで至るのが習わしでしたが、戦後は国家と神社が切り離されたこともありそれが叶わなくなりました。

5月22日23日でご奉仕します

現在では神社奉賛会を中心として、二日間に亙ってご縁のある箇所を巡幸し、新田塚にて碑前祭を執り行っています。ご希望があれば大神様の御鳳輦を御巡幸の上、会社発展また家内安全のご祈念をご奉仕することもできますのでどうぞお申し出ください。(場所によってはご希望にかなわない場合もあります)

お申込みは、毎年5月15日締め切りです。是非、会社発展また家内安全のご祈念のため大神様の御鳳輦をお申込みください。

 

お気軽にお問い合わせください TEL 0776-35-7010 受付時間 9:00 - 16:30

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