藤島神社は建武中興・後醍醐天皇の功臣「贈正一位新田義貞公」を 主祭神としてお祀りする神社です。旧別格官幣社、現在神社本庁における別表神社。建武中興十五社の一つ。

摂社・野神神社(のがみじんじゃ)ご由緒

藤島神社境内神社(摂社)
野 神 神 社(野神大明神)
御祭神 勾 當 内 侍(こうとうのないし)
新田義貞公夫人藤原氏
    從二位一條經尹卿(世尊寺流第十代)三女
御祭日 十月三十日
本 社 野神神社(伊豆神田神社境外攝社)
    滋賀県大津市今堅田二丁目32番3号

藤島神社の御祭神・新田義貞公の夫人、勾當内侍を祭祀する。
内侍は藤原氏で從二位一條經尹卿(世尊寺流第十代)の三女、藤原行房の妹。
本社は滋賀県大津市今堅田の琵琶湖大橋西詰の湖畔にある。同所には内侍の墓もあり、室町時代から野神祭が五百数十年続く。

後醍醐天皇の忠臣として南朝の大将軍だった新田義貞公は、太平記によると、足利尊氏と戦って越前(福井県)に逃れる途中、内侍を今堅田に残していった。
そして二年後の延元3年(1338)、内侍は義貞公の迎えを受けて越前に赴く途中、同年閏7月2日(1338年8月25日)、義貞公が藤島の戦いに於いて討ち死にしたことを知ると、京都嵯峨に草庵を構えて公の菩提を弔いながら余生を送ったと言われている。

ところが今堅田に残る伝承では、今堅田にとどまっていた内侍のもとへ、公討ち死にの知らせが届いたため、内侍は悲嘆のあまり、すぐ近くの琵琶湖琴ケ浜で入水自殺を遂げたことになっている。維時、延元3年9月9日(1338年10月30日)であった。

内侍の死を哀れに思った今堅田の衆は、内侍をまつる石積みの塚を築き、野辺送りをした人々が「野神神事衆」をつくって内侍の霊を慰めてきた。

その後、観応2年(1351)内侍の菩提寺・泉福寺と、明応6年(1497)150年祭の折、塚の場所に「野神神社」が創建され、以後、命日の9月9日(明治の改暦後は10月8・9日、現在は10月第三日曜日)に野神神事衆によって「野神祭り」が営まれたのである。

かつては「野神講」と呼ばれる野神神事衆の子孫は、9月18日の石塚清掃(泥塗り行事)はじめ、10月8日の野神祭り(お膳を投げる奇祭行事)を必死に守り続けていたが困難になってきたので、現在では氏神神社である伊豆神田神社の責任役員をはじめ総代を中心として地域で守ってきている。

御縁あって平成25年8月11日、本社・野神神社より分祀祭(御神霊を分けていただくお祭り)を斎行していただき、義貞公の元へ内侍の御神霊を祭祀。
その後、第六十二回伊勢神宮式年遷宮の古材を拝戴して、義貞公の大宮である藤島神社の御垣内に新しい神社を創建。
平成27年10月25日午後7時より鎮座祭を斎行して、藤島神社境内摂社「野神神社」を竣功した。夫婦円満・家内安全、諸縁結び、恋愛成就など女性ならではの温かい御神徳がたくさんある。

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