「新田塚」は福井市新田塚町にあります藤島神社の旧蹟地です。古い地名では越前國吉田郡藤島郷三ツ屋村及び福万村と言いました。今でも広義のエリア名は「藤島」と言い、具体的には「西藤島」という地区に当たります。
明治9年(1876)より同14年(1881)まで現在の祠の前に藤島神社御本殿・幣殿・拝殿及び社務所を有していました。
その後、神社は現在の福井大学前である吉田郡牧之島村(現在の福井市文京四丁目周辺)に遷座しましたので、明治14年以降は祠堂や玉垣・燈篭などの建物は残したまま飛地境内地となっていました。
正確には「国指定史跡・燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地」(とうみょうじなわてにったよしさだせんぼつでんせつち)と言い、古戦場である新田義貞公の戦没地であるという伝承に基づき、大正13年(1924)12月9日に国の史跡に指定されました。
藤島神社は氏子を持たない崇敬神社ですが、この明新地区・新田塚のエリアに住む人々だけはこの一帯を御守護下さる神様として崇敬を集め御加護を受けています。
新田塚には祠や祠内由緒石碑、玉垣、燈篭、境内石碑、立木などが多数存在しますが、これらは「藤島神社土地建物台帳」に記載のある神社の所有物です。昭和40年代になって福井市の都市計画条例のもと、上物の所有とは別に、土地中央は国の史跡として文化庁、左右は市の公園地として福井市が管理することが当時の宮司(第11代・安齋二郎宮司)と福井市長(第12代・島田博道市長)の間で定められました。
新田塚の祠には御神体を奉戴しておりません。時折、地域住民によって「新田神社」と呼ばれることがありますが、正確には御神体を奉斎しておりませんので「神社」では無く、そのために、この祠堂内に奉安する古碑を通じて足羽山にある藤島神社を遥拝いたしますのが習わしです。
ここは、別格官幣社藤島神社の最初の鎮座地であり、江戸時代から「新田塚」の愛称で親しまれていました。
従来は5月22日(記念祭=大祭)の前日に御鳳輦が新田塚の旧蹟地へ巡幸し、所縁深き新田塚の祭礼を営む仕来りでしたが、平日ではなかなか地域住民が一体となって祭礼を営むことが難しいため、昭和40年より5月5日(祝日)を新田塚祭礼日と定められ、現在に至っています。
なお、記念祭の御鳳輦巡幸は現在でも続けられており、日程は年によって前後することがありますが、概ね22日の前後となります。
祭礼をはじめ清掃奉仕などは新田塚地区の人々によって行われ、特に 新田塚奉賛会 が中心となり 新田塚自治会連合会 によって行われます。
祭 典
1月成人式前後の日曜日・・・新田塚左義長祭
5月5日(祝) ・・・・・・・・新田塚祭礼(例祭)
5月22日前後・・・・・・・・藤島神社 新田塚巡幸祭
5月の祭典は藤島神社では「新田塚碑前祭」という名称で宮司が祭礼を斎行しています。